大森からの散歩

今日の模型屋巡りは不発・・・・(お財布に優しかった~~♪)
 
さて、天気が良いので・・・・大森駅で下車して散歩しま~す。
 
大森で連想するものは・・・・「大森海苔」・「大森貝塚」・「平和島etc・・・?
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大森駅ホーム 木製の柱が健在!
ストラクチャーファンは必見!
柱の構造を学べます・・・エムズコレクションの駅舎が欲しくなります。
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 大森貝塚=「日本考古学発祥の地」碑がホームにあります。
 
駅からすぐの場所に「大森貝塚」があります(電車の車窓からも見えますよ・・・大井町~大森)
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噴水のようで噴水でない?水煙?
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線路脇から見える石碑(品川区側)
 
アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モース氏が1877年(明治10年)に汽車の車窓から見た崖の断面に貝殻が積み重なった光景を発見した。その後、発掘調査をするなかで貝殻や土器、土偶、石斧、石鏃、鹿、鯨の骨片、人骨片が出土。
 1955年(昭和30年)国の史跡に指定された。
 1975年全てが国の重要文化財に指定された。
 
 
現在、大森貝塚に関する石碑は品川区側の遺跡一帯に整備された大森貝塚遺跡庭園内と、大田区側の大森駅近くの2ヵ所にある。前者は「大森貝塚」、後者は「大森貝墟」と書かれており、貝塚碑は1929年、貝墟碑1930年と次いで建てられた。
モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、品川区説と大田区説の2つが存在した。しかし、その後1984年までの複数の調査により、東京府が大井村字鹿島谷(現在の品川区・大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金を支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったことがわかっている。
『フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より
 
地図で見ると微妙な場所にあるんですね。
今まで「大森貝塚」は、大田区にあると思っていましたが、
品川区にあることを知りました。
 
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新緑と233系(大森貝塚
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へぇ~「品川歴史観」ってあるんですね♪
今度、時間作って見学してみよう・・・。(大森貝塚の近くにあります)
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鹿島神社 境内にて
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大井第一小学校 道路脇花壇
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大井第一小学校 道路脇花壇
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大井第一小学校 道路脇花壇